10Nov
「ありがとう」という気持ち
最近なんだか日々、
ありがたいな~~~と思うことが多い。
というか日々、
ありがたいな~~~と思いながら暮らしていると言っても過言ではない。
(ばあさんかっ!)と一人ツッコミを入れてみる(笑)
いや、でも本当に年齢のせいか最近そんな感じなのだ。
私は「ほぼ日手帳」を使っているのだけれど、
「ほぼ日手帳」というのは一日1ページになっていて、
ページの下に「今日の言葉」的なモノが書かれてあり、
それは糸井重里さんがサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」に、
毎日お書きになっているエッセイ的なモノ「今日のダーリン」からの一節であったり、
他の方の言葉だったりするのだが、これが結構「ほほ~っ」とうなる内容が多いのだ。
そして今日(2018年11月10日土曜日)の内容が、
[以下ほぼ日手帳より抜粋]
年をとるほど、「ありがとう」という気持ちになることが増えていくような気がする。
素直になっているからかなぁとも考えるのだけれど、どうも、そういうものじゃないなぁ。
年をとるほどに「じぶんひとりの無力感」を知るからじゃないのかな。
いろんな人の、それなりの助けに、いちいち「ありがとねー」と思うようになるのだ。
孤独感とか、無力感とか、ちゃんと出会えるのは、とてもいい人生なのかもしれないな。
______糸井重里が「今日のダーリン」の中で
[引用終わり/原文まま]
というものだった。
年をとるほどに「じぶんひとりの無力感」を知る、かぁ、
まさにその通りかも。
言葉を操る人の言葉はグッとくるな。
ちょうど今日出席していた仕事関係の勉強会で、
「自力」と「他力」についてのお話しを聴いたところで、
そのお話しともリンクしていてちょっとびっくり。
(今日の今日だしね)
普段生活していく上で、自分の力で生きようとしているし、自分の力で生きていると思っていて、
他からの力を意識することってあまり無いかも知れない。
でも、
自分の力だけで出来る事って本当に限られたほんの少しなんだろうなあ、と思う。
というか、もしかしたら1人で出来る事なんて何もないのかな。
目の前にある一個のおにぎりも、突然天から降って来たわけではなく、
丹精込めてお米を作ってくれた農家の方がた、
お米を販売するお米屋さん、
おにぎりを握ってくれた料理人さん(お母さん)
農家からお店そして家庭へ運んでくれた運送屋さん。
etc…
と、幾人もの手がかかっているし、
衣食住全てにおいていろんなモノが、
いろんな人々の手を巡って私たち個人個人の手元にやってくるのだ。
そういう物理的なモノだけでなく、
つらいときや迷っている時に、人から気にかけてもらったり助けてもらったりして生きている。
そうした直接的な手助けではなくても、
たまたま読んだ本に書かれてある言葉だったり、
たまたま観た映画のセリフだったりにすっごく助けれられることもある。
それもまた「誰か」が書いた本であり、
「誰か」が作った物語。
などということをつらつらと考えている。
まあ人生80年としても、もう半分以上は過ぎたからなぁ(笑)
何ごとにも感謝して、日々「ありがとう」という気持ちで生きている今日この頃だ。
さて、11月もそろそろ半ば。
また来年の「ほぼ日手帳」を注文せねば。
2018-11-10-Saturday
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