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人生、半世紀生きて来て思うこといろいろと、残りの人生について

人生、半世紀生きて来て思うこと

 

膨大なネットの海の中からこのblogにたどり着き、

たまたま読んで下さっている皆様にはどうでもいい情報だが、

本日12月26日、私は50歳になった。

 

50歳て!!!

50年ですよ50年。

100年の半分、半世紀ではないか。

半世紀!!!

ぶっとび(古っw)

 

世紀

 世紀は紀元後については、西暦元年1年)から100年区切りごとに一単位として数える序数で表現される。また紀元前の世紀についても、紀元前1年から遡って100年区切りごとに数える(後述)。このため、紀元0年が存在しないことと同様に、「0世紀」というものは存在しない。例えば、21世紀は英語で“The 21st (twenty-first) century ”と表現される「21番目の世紀」「21世紀」という意味である。世紀(せいき)とは、西暦を100年単位で区切った範囲に対しての呼称である。百年紀。“century”( /ˈsenʧɚi/ センチュリー)の訳語(語源はラテン語で「百」を意味する”centum”)である。「世紀」を「C」という略記号で表すことがある(例えば、“20C ”は20世紀を表す)。

また、天文学では時間的な「量」の単位としてユリウス世紀(= 36 525日)が用いられる(後述)。この他、世紀は様々な表現に使用されており、本項ではこれらの表現についても解説する

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

若かりし頃は50歳とかもうババアだと思っていた。

っていうか40歳くらいでももうババアだと思っていたけれど、

いやいやどうしてこうして、ババアとか言うな?って感じ。

実際50歳になった今、私の体感的にはまだ30歳くらいだったりする。

自分で思ってるより年くってていろいろヤバイ感じ。

いや、ヤバくはないけど、お化粧やファッションがイタくならないように全力で気をつけたい。

 

40代に入った頃は年齢を聞かれた時に、

サバを読むつもりも全くなく、

咄嗟に「30いくつになったんだっけ?」→「えっ、いやいやもう40になったんだった。」

みたいなやり取りを脳内でしている自分がいて40代に慣れるのに結構な期間を要したけれど、

50代に慣れるのにも時間がかかりそうw。

いや、若い頃に比べて時の過ぎるのの異様な早さを思うと慣れないうちに60代に突入するかも知れない。

 

年を取ると時間が過ぎるのを早く感じる「ジャネーの法則」によると、

 ジャネーの法則(ジャネーのほうそく)は、19世紀フランス哲学者ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者ピエール・ジャネの著書[1]において紹介された[注 1]法則。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明した。ジャネの法則とも表記する[2]

簡単に言えば生涯のある時期における時間心理的長さは年齢の逆数比例する(年齢に反比例する)。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。

出典: フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

ということらしい。

5歳の子供の1年間は50歳の大人の10年、5歳の子供の1日は50歳の大人の10日。

 

私の残りの人生多めに見積もって30年として、5歳の子供の観点から考えるともうあと3年だな。

3年てw

残りの人生まあまあ短いかも知れない。

 

50年と言うと信長公が好み、桶狭間の戦いへの出陣前に舞ったと言われている、

幸若舞「敦盛」を思い出す。

人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか

織田信長と『敦盛』

直実が出家して世をはかなむ中段後半の一節に、

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天[1][2]のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。 「人間(じんかん、又は、にんげん)五十年」は、人の世の意。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年にあたり、化天住人の定命は8,000歳とされる。「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」という意味になる。現代において、「(当時の平均寿命から)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではない。

特に、桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、清洲城の信長は、まず『敦盛』のこの一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したという『信長公記』の伝記がある。

 

此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。-『信長公記』

出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

 

舞を舞って、甲冑をつけさせ立ち食いで飯をかっこんでいざ出陣とか、

信長公カッコよすぎ。

 

私も残りの人生こんな風に生きたい。

たまたま今の時代に生まれたけれど、戦国や幕末に生まれていたらどんな人生だっただろうか。

戦国の侍や幕末の志士の如き生き方って憧れる。

日本人たるもの、侍魂を持って生きていたいと思う。

 

けれど、今の時代に生まれて良かったかな。

良かったというか、生きている時代的に考えてすごく面白いから。

 

いわゆる時代の過渡期、パラダイムシフトですな。

 

特に私の年代、ジェネレーションX世代って、

アナログからデジタルへ、デジタルからその先へ・・・

の流れをがっつり体験している世代。

 

私が子供の頃の祖父母の家は田舎の土間のある昔ながらの木造の家(今でいう古民家)で、

お手洗いが外にあったし、冬には火鉢で暖をとったり臼と杵で御餅つきをしたりしていた。

祖父母の家の電話は黒電話だったし、テレビのチャンネルはまわす式だった。

(自分の家はマンションで水洗トイレだったけど)

いわゆるアナログな生活。

 

それが今では家の電話なんてほぼ使わないスマホ生活。

テレビも4kとかパソコン画面も5kとか、車はもうすぐ自動運転かという時代だし、

シンギュラリティとして、2045年には人工知能が人間の知能を越えると予測されている。

デジタルからその先へ・・・

 

2045年と言えばあと27年ではないか。(現在は2018年)

 

今でも割と真剣にドラえもんが欲しいと思っているので、

もしかすると生きている間にその世界を見る事が出来るかもしれないと思うとかなり面白い。

残りの人生、多めに見積もるとイケるかな。

 

と、

半世紀生きて来てそんなことをつらつら考えた誕生日の日。

 

奇しくも50になる今年は平成最後の年。

新しい御代はどんな世界になるのだろうか。

 

 

2018-12-26-Wednesday

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